ayanologはてな館

主に東京の東側で暮らしている私の日々を、ごはんやおやつの話を中心につづります。ayanoのblogなのでayanolog。夏の間はかき氷専門ブログ「トーキョーウジキントキ」もやってます。2013年10月に、はてなDiaryからHatena Blogへ引っ越してきました。

「いただきます」って言ってますか?






snow man


Originally uploaded by tokyo ayano.

お友達何人かが話題にしていて知った話題です。毎日新聞掲載の「考:「いただきます」って言ってますか?「給食や外食では不要」ラジオで大論争」


永六輔のラジオ番組に来た、あるハガキにこう書いてあったのだそうです。「ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と」

このハガキをきっかけに、いろんな意見が番組に寄せられ、ほとんどは否定的なものだった…という話なのです。どう思います?


私は「へぇぇ〜、そんな考え方をする人がいるのか。考えたこともなかった」と驚いたのですが、「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」というくだりを読んでちょっと分かった気になってみたり。そういえばたまに飲食店で、威張り散らしてるお客、見ますね。ナルホド。そういう思考ルーチンなのか…。


私は家でも外食でも、食べる前には「いただきます」というし、食べ終わったら「ごちそうさまでした」と言います。外食の場合は、お店の人に必ず「ごちそうさま」と声をかけてから帰ります。この話を紹介していた友人はみな、「いただきます」という言葉は、「命をいただきます」の「いただきます」に決まってるだろう、なにをアホなことを言ってるんだというスタンスで話をまとめていましたが、ごめんなさい。…私、どうして「いただきます」っていうのかなんて、考えたこともなかったよ(^^;


意味もなにも考えることなく、完全に習慣として「いただきます」って言ってたんですよね。大学生の頃トルコで、日本語の「いただきます」に相当する言葉がトルコ語にないことを知り、驚いて周りの友人(トルコ語学校で同級だったいろんな国の人たち)に聞き回ったら、そういう言葉はないほうが普通で、逆に日本が珍しいのだということを知ったのでした。


…と、これを書きながら今、話をどの結論に落とそうかなあと迷っているのですが、あえてきれいにまとまらない方向に話を持っていこうかな。

Snowman 02


近頃、子どもを親が注意しているシーンを見かけるとよく思うのですが、「理屈じゃないんだよ、ダメなものはダメなの」っていって叱ってるところをほとんど見ないんですよね。


うちの親は比較的、子どもに何が悪いのかを説明して叱るほうだったと思うのですが、それでもやっぱり「屁理屈こねるんじゃないっ。悪いものは悪いのっ(げんこつゴン!)」みたいな叱られ方はしたからなあ。かなり大きくなるまで、親が怖かったし。

「いただきます」「ごちそうさま」の話も、「理屈じゃなくてそういうモノなの」という類の話じゃないかと思うのですが。もちろん、「命をいただく」であったり「感謝の念を表す」であったりするんだろうけど、でも理由を後付けする前にまず「理屈じゃなくて、それが常識でしょ」という感覚なんですよね、私の場合。

最近何かにつけて思うんですが、「多様化」や「自由」と引き替えに、「絶対的に正しいもの」とか「倫理観」がなくなっちゃったよなあ…と。今や平成の日本はどんどん、弱肉強食で実力社会で、目端の利く人じゃないと生き残れない(あるいはいい思いができない)世界になりつつあるわけですが、「これさえやっていれば大丈夫、自分の道は正しい」という精神的支えがないのってやっぱりキツイよね。


「真面目に努力した人は報われる」「理屈じゃなく、正しいもの、間違ってるものはあるんだ」と少なくとも子どもの頃はそう信じていられた私たちの世代は幸せだったな、と。そういう考え方って、いつしか共通認識ではなくなってしまったけど、あれって昭和の文化だったのかな…などと思ってみたり。


…なんか話がすごいところに着地しちゃったなあ。まとまってなくてゴメンナサイ。ご意見、お待ちしておりまする。