写美で「世界報道写真展2007」と「昭和 写真の1945-1989(第一部)」
恵比寿に行った理由は、東京都写真美術館に行くため。友の会の期限が切れてたので会費を払い、観てきたのは「世界報道写真展2007」と「昭和 写真の1945-1989」の第一部。
まずは「昭和 写真の1945-1989」から。この日が第一部の最終日だったのかな。終戦直後の写真を見ていると、いろいろなことが頭をかけめぐる。やっぱり見ていて面白いのは東京の写真だなぁ。上野の松坂屋、銀座の時計台、新橋〜有楽町間の山手線からの車窓の景色、などなど。
絶えずスクラップ&ビルドを続ける東京では、古い写真の中に残る街の景色に現在との連続性を見いだすのは非常に難しいことなんだけれど、でもやっぱり東京で育った私の記憶の中には、うっすらとつながる何かがある。子供のころの記憶(それは昭和の記憶でもある)を丁寧にたどっていくと、戦後直後の写真ですら、頭の中の景色とつながる瞬間があって、それが何とも気持ちいい。「平成生まれにはこの感覚はわかんないだろうな〜」と、よく分からない優越感にひたりながら、写真と自分の記憶の間を往復し続ける数十分は、地味に楽しい時間だった。
今は眠いし頭もまわっていないので、以下なにも考えずに書いてしまおう。あんまり写真展とは関係ないけど。
「東京は住みづらい」「東京はひどいところだ」「東京なんか人間が住むもんじゃない」という言葉を聞く度に、東京を愛してやまない東京育ちの身としては、なんともいえない悲しい気持ちになる。正直、「じゃあ、住まなきゃいいじゃん。故郷に帰りなよ」と思う。
被害妄想かもしれないけど、「東京が好きだ」ってポジティブ意見は滅多に聞かない。「東京は嫌いだ」っていう話なら山のように聞くのに。うどんのつゆが黒い?じゃあ蕎麦を食べればいいじゃない。ラッシュが殺人的に混んでて通勤がツラい? あのねぇ、ラッシュ緩和のために新しい路線ができても、10年も経てばそこも混むようになっちゃうのよ。京葉線だって有楽町線だって、できたときはガラガラだったんだよ???人が冷たくて人情がない?お言葉ですけど、東京にいる人のほとんどは、東京出身者じゃない(いいとこ親の代で東京に出てきて2世くらい)わけで、“冷たい人”は東京の人じゃないと思うんですけど。
……もういいよ。別に、東京に住んでくださいって頼んだ覚えはないよ? そんなに悪口ばっかりいうなら、故郷に帰ってよ。
数年前までは、盆や正月の東京が大好きだった。車の通行量が激減して、通りを歩いてる人もほとんどいなくて、「ああ、東京っ子の手に東京が帰ってきた」とうれしい気持ちになった。でも最近は、盆も正月もゴールデンウィークも、東京は人でいっぱいで、さみしくてたまらない。もうあの気分を味わうことはできないのかなあ。
まあ、みなさんそれぞれ事情があるのは分かっているし、東京に住みたくて住んでるわけじゃない人がたくさんいる現実を知らないわけではないけれど。でもたまに「じゃあ帰りなよ」といいたくなる瞬間がある。言えないから黙ってるけど。
絶えず変わり続ける東京の中で、過去の記憶を失わないように、人に言うことは滅多にないけれど、心の中では東京に対する郷土愛を持ち続けてる私みたいな人だってきっといるはず……でもなあ、東京に暮らす人のなかで、親戚まで含めてみな東京出身者(=故郷は東京)はむしろマイノリティなんだよなぁ。……うーん、書けば書くほどなんだか寂しい気持ちになってきたからもうやめる。
世界報道写真展2007も面白かったです。でも今年の傾向として、説明文を読まないと意味が分からない写真が多かったのが特徴かな。大賞受賞作からしてそうだったし。写真はそれだけで伝わるものでなくてはいい写真といえないのではないか、写真にタイトルを付ける意味すらない、と力説する某氏の顔を思い出しつつ、でもそれだけ世界は複雑化してるってことなのかな、とも思ってみたりもして。