ayanologはてな館

主に東京の東側で暮らしている私の日々を、ごはんやおやつの話を中心につづります。ayanoのblogなのでayanolog。夏の間はかき氷専門ブログ「トーキョーウジキントキ」もやってます。2013年10月に、はてなDiaryからHatena Blogへ引っ越してきました。

吉原の弁天様と見返り柳

まだまだ続くぞmeetup話。鷲神社のあとは、昼間の吉原見学に向かいました。

小説や映画で描かれることも多い吉原。かつて政府公認の遊郭だった吉原は、現在は日本一のソープランド街になっています。ただし今は「吉原」という地名はなく、台東区千束3丁目、4丁目がかつての“吉原”。

「吉原大門」というバス停があるので、私は今も吉原大門という名前の大きな門があるのかと思ってたんですが、別に門が残っているわけではないんですね……知らなかった。

shrine

吉原神社。かなり小さな神社ですが、境内で吉原の歴史について基礎知識を得ることができます。「赤線が廃止されたのって昭和33年だったのか」「思ったよりも最近なんですねえ」などと皆で学習。

statue of lady

「吉原弁天」という言葉はよく耳にしていたけれど、実際に観るのは初めてだった吉原の弁天様。映画「さくらん」で、「神社(稲荷のだったか?)の桜が咲いたらここ(吉原)から出してやる」という台詞が出てきてた桜は、おそらくここにあったのでしょうね。

このあたりはかつて池があり(弁天池)、大正12年の関東大震災のときにたくさんの人がこの池に逃れてきて、500人近くが溺死したという悲しい事件があったのだそうです。写真の観音様は、その犠牲者を悼んで建てられたもの。

「どうしてここにそんな大勢逃げてきたんだろう?」という話が出ていたので、以下余談。
関東大震災のときはものすごい大火事になったため、とりあえずみな、水があるところへ逃げたのだそうです。私の祖母も、みんなで隅田川へ逃げたと言っていました。祖母の実家は浅草・雷門のあたりにあったので隅田川が近かったからでしょうが、同じ浅草といってももう少し北に住んでいたら、弁天池へ逃げていたかもしれません……。

吉原神社の音声案内で「左へ真っ直ぐxxメートル歩くと見返り柳があります」とのことだったので、てくてく歩いて見返り柳へ。

a tree in front of gas stand, Yoshiwara

これが吉原の「見返り柳」。今はガソリンスタンドの前に、石碑と柳、そして解説の看板が立ってます。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳の辺りで遊郭を振り返ってしんみりしたところから、この名前がついたのだそう。ちなみに写真にうっすら写っている柳の木(葉を刈り込まれて全然柳っぽくないですが)は昭和になってから植えたものだそうです。