おじいちゃんにさよなら
2007年11月15日は、うちの母方の祖父が88歳の誕生日を迎える、はずの日でした。
なぜ“はず”だったかというと、その前日の朝、祖父が亡くなったから。14日の日記であわてふためいていたのは、朝家を出る直前にその知らせが入ってきたためです。
亡くなった水曜日からその週の土日までは、それじゃなくても仕事が忙しいのに、お葬式関連の手伝いもあり、とても慌ただしく過ごしていました。気が付いたらもう、11月23日。二の酉じゃないか……11月、もうすぐ終わっちゃう(汗)。写真は一の酉のときに、新宿の花園神社で買ってきた切山椒(キリザンショ)です。お葬式のお手伝いをしながら、おやつに食べていました。山椒が効いた“すあま”のようで、旨いです。
亡くなったときは苦しむこともなく、ホントにあっというまに息を引き取ったそうです。私もあとで顔を見ましたが、ほほえんでいるような顔で、まったく苦しそうでなかったことにほっとしました。
祖父には子供の頃から本当にかわいがってもらいました。私が熱いお風呂に平気で入れるのは、子供の頃祖父といっしょにお風呂に入ったおかげだし(「江戸っ子は熱いお湯に涼しい顔して入るもの!」と、子供の頃に特訓?された)、高校生のころは一緒に住んでたので、よく一緒に相撲や野球の中継を観ていたなあ。“火遊び”が好きで、よくいっしょに花火もしたし、お墓参りに行ってたき火をするのがお約束だったっけ。私はなにしろたき火が楽しみで、草をむしりにいってるのか火を焚きに行ってるのか分からないくらいでした。おしゃれで、お習字が抜群にうまくて、ハイカラで、仕事はやり手でとてもかっこいいおじいちゃんでした。おじいちゃんの思い出なら、いくらでも思い浮かびます。
こうして思い出していると今でもウルッときてしまいますが、でも文字通りの大往生だったのだから、きっと、悲しいことではなくてめでたいことなのでしょう。
それにしても、あと一日でお誕生日(しかも米寿)だったのに亡くなっちゃうなんて、おじいちゃんは1日計算を間違ってしまったのかなぁ、あわてん坊だなぁ……なんて言ってたのですが、いやいや先にいった友達と一緒に、あの世で米寿のお祝いをしたかったのかもしれませんよね。