ayanologはてな館

主に東京の東側で暮らしている私の日々を、ごはんやおやつの話を中心につづります。ayanoのblogなのでayanolog。夏の間はかき氷専門ブログ「トーキョーウジキントキ」もやってます。2013年10月に、はてなDiaryからHatena Blogへ引っ越してきました。

2つの訃報

2月、悲しい知らせが二つありました。

14日、家族の必死の看病の甲斐なく、義父が亡くなりました。もともと人工透析を5年以上も受けていた上、去年の暮れには脳溢血で倒れ、足を切断するという大手術を2回もして……本人も苦しみ抜いていたので、悲しい半面、「これで痛みから解放されるなら、よかった」とも思ってみたり。暮れに倒れたときに、ある程度覚悟していたから、というのもありますが。

私ももちろん悲しかったけど、泣きじゃくっている家族を見ると、逆に冷静になっていろいろ用事を片付けていました。忙しく立ち働いているうちにお葬式は終わっていたなあ。でも、ふとしたときに、急に悲しくなったり、さびしくなったりするんですよね……。

亡くなって知ったのは、家族が思っていた以上の義父の人徳でした。弔問に訪れたいろいろな世代の友人たちが「(父と)知り合えてよかった」「本当によくしてもらった」と悲しんでおられるのを見て、ああ、幸せな人生だったのだろうとうれしく思ったり。「やりたいことはほとんど全部やった」と話していたとも聞いたし。

そして、もう一つの訃報も、本当にショックでした。仕事でとてもお世話になっていた人が亡くなったのです。45歳で逝ってしまうなんて、早すぎる……。頭が良くて優しくて、でも言うべき時は誰が相手でも引かない、ほんとうに優秀な女性でした。大学も同じということもあって、ちょっとお姉さんのように思っていた人なのに。最近は年賀状のやりとりしかなかったけれど、元気な姿しか記憶にないだけに、知らせを聞いてからもなかなか信じられなくて、告別式で棺の中で眠っている顔を見るまで「嘘だ嘘だ」と思っていました。

3年前に体の異変に気がついたときには、すでに末期がんに冒されていたそうです。闘病生活はどんなに辛かったのだろう。もともと細い人だったのに、やせ細って頬がこけた顔を見て、ボロボロと涙が止まりませんでした。

義父が亡くなった朝、病院を出ると目の前に紅梅がたくさん咲いていて。「ああ、また2月だ、梅の季節だ……」と思いました。2年前にスエコねえさんが亡くなったのも、梅がきれいに咲いていた2月でした。梅の花を見ると、亡くなった親しい人たちのことを思い出さずにいられない私です。