しつこくスミマセン、篤姫の話はこれで最終回です。
たぶん、ドラマを見ていたほとんどの人は、天璋院という存在そのものを知らなかったと思うんですよね。おそらく小松帯刀のことはもっと知らないでしょう(こちらは私も長年名前しか知らず、今年になってようやく何をした人か知りました)。ドラマでは篤姫をずっと想い続ける人物として描かれる薩摩藩の若き家老・小松帯刀ですが、宮尾登美子の原作『天璋院篤姫』にはいっさい出てきません。作者のある意図のもと、ほぼ創作されたキャラクターだと考えていいと思います(お守りのエピソードなんかもちろんどこにも出てきません)。
で、もう一人、原作と全然違う描き方をされているのが将軍・徳川家定。ドラマではうつけ者のふりをしているだけで実は聡明な人物であり、篤姫のことを深く愛し徳川家の行く末を真剣に思っていた……という設定でしたが、家定については、非常に内気、人前に出るのを嫌がる性格で、身体が弱く、身体障害があっただろうというのが定説になっています。暗愚、まともな判断能力がなかったという意見も根強い人です。極めて聡明な篤姫と相思相愛の仲になったとは考えにくく、原作でも、夫婦とはとても呼べない間柄だったが(天璋院は生涯処女だったとも言われている)、家定は家定なりに篤姫を頼りにしていたようだ、という書き方をしています。
最初のうちは、あまりに原作と違いすぎるので、毎回「???」と思いながら観ていたのですが、あることに気が付いたらすっきりしました。主人公の女の子が二人の男性に愛される、しかも一人は片思いのまま想い続ける……これはもう、少女漫画/恋愛小説の王道じゃないか!と気付いたんですね。今回の脚本家は女性だし、「主人公が天璋院」という設定だけ使って、恋愛ドラマを描きたかったのだろう、と理解したわけです。これまで大河ドラマなど観なかった女性視聴者に支持されるというのも納得です。
原作を読んでいると篤姫がなにしろ気の毒で……。だって、島津本家の養女に望まれてからというもの教育係(強烈なオバアサンばっかり)にビシバシしごかれ、信頼する養父・島津斉彬に、家定がそういう人だと知らされずに輿入れし、2年かそこらであっさり夫に先立たれ、父が将軍に推せという一橋卿(後の徳川慶喜)のことを自分はどうしても好きになれず、やってきた嫁(和宮)は徳川の人間になる覚悟がない上に母親までつれて大奥に入ってくるような甘ちゃんで、しかも自分が非常に嫌っていた慶喜のせいで大奥を追い出され、姑(本寿院)を連れて余生を送ったわけですからね。
ドラマ化にあたって、脚本家が原作からある程度離れることはアリだと思うのです。だって上に書いたとおり原作では天璋院はあまりに気の毒な運命の人なので、視聴者もストーリーに入り込めないでしょう。堺雅人の演じる素敵な家定に、先立たれたとはいえ愛される、というストーリーのほうがよほど救いがあります。原作とは違うけれど、これはこれでまあアリだと思う。
でも、でもね……そう分かっていても「これはまずいだろう?」という箇所が、このドラマには多々ありました。何が悪いって? 大奥の中の話は描いていたけど、その外の歴史(いわば男の歴史)をまるで描いていなかったこと。さらにいうなら、その歴史を捏造しちゃまずいだろう?ということなのです。以下、ちょっと長いです。
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